~単なる評論家で終わらないために~
しあわせの家寒川 施設長
「批判」とは「物事の良し悪しを、論理的によく調べたり考えたりして判定すること」 「批難」とは「相手の欠点や間違いなど、悪い点を責め立てること」 と辞書に載っています。「批判」は誤りを指摘して改善させようとすることで、「批難」は誤りを責めることになりますね。 「それは〇〇が間違っている。〇〇すると良くなるよ」⇒批判 「なぜこんな簡単な間違いをするんだ」 ⇒批難 責めるだけの「批難」よりも、誤りを正すために指摘する「批判」の方が相手に対する思いやりが感じられますよね。とはいえ、「批判」もあまりいいイメージではないのも事実です。「陰口」・「悪口」・「不平不満」というように捉えられることが多々あります。 その理由としては次の点があげられます。 *感情が冷静ではない状態の時に批判している。 *組織機序に沿った公の場で発言していない。(気の合う仲間内だけで発言する) *自分ができないこと(できていないこと)を批判している。 *批判している内容が論理的ではなく、代替案も示されていない。 前述した理由に当てはまると、批判はマイナスイメージになります。建設的にならず、批判だけで終わることになり、やがてそれは無気力感へと変わってしまいます。そして、無気力感が蔓延した結果、いつのまにか不平不満の溜まり場となってしまうという悪循環になるのです。 物事を批評するのは簡単ですが、それだけで終わってしまうと単なる評論家に過ぎません。せっかく問題に気付いて改善した方がいいと思ったのであれば、単なる評論家で終わらないように代替案を用意して提案する姿勢が大切になるのです。 それができないのであれば、自分の価値を下げるだけになってしまうことがあります。 批判する時は「物事を冷静な状態で客観的に見て、指摘する内容を論理的にまとめ、自分が相手の立場でもできる具体的な改善案(代替案)を組織機序に沿った公の場で示す」ということを心がけましょう。