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【介護長】~我々(福祉職)に必要不可欠なもの~

17.09.17

 

はじめてのブログ投稿となります。

私は当施設で介護長を務めさせていただいている「篠原徹」と申します。

今回は「~我々(福祉職)に必要不可欠なもの~」というテーマで記事を投稿させていただきますが、このテーマで伝えたい私の想いは実体験に基づくものですので、まず私のプロフィール(今までの道のり)をお伝えしたいと思います。少し長くなりますがお付き合いください。

 

私は昭和41年1月生まれの51歳(男性)、妻と2男1女の5人家族です。

家系は四国中央市(川之江)出身となりますが、私自身は新居浜に生まれ、地元の小・中・高を卒業。小学校ではソフトボール、中学・高校では野球部に所属して勉強そっちのけで白球を追う毎日でした。今の容姿からは想像できないかもしれませんが、学生時代は引き締まったボディでそこそこモテてたんですよ。(笑)体育教師になりたくて体育大学を受験したのですが、体育大学の受検には失敗し大阪のとある大学に進学しました。体育教師になりたいと思ったのは、教師は季節休みがあって、その中でも体育の教師はいつも自由そうでいいなぁ~(実際の大変さなんて全く知らず)という単純かつ不純な動機でした(笑)

そして、大阪で一人暮らしを始めることになりましたが、そんなに真面目ではなかったので、自由になったとたんにすぐにバイト生活(炉ばた焼のカウンターで焼鳥)を始めました。たくさんのお客さんと接することが楽しくて、お決まりのパターンですがバイトが本業となっていき、大学は中退することとなりました。そこで出会った親方に誘われ、店長として飲食店(年中無休24時間営業の喫茶レストラン)を始めることになったのが20歳の時でした。当時24時間営業のお店は多くなくとても繁盛していましたが、最初の2年間は休みなしで毎日10時間(夜11時~朝9時)働くという非常に厳しい労働環境でした。今の時代では考えられませんよね。一日10時間休みなしなので、一か月の仕事時間は300時間(毎日が夜勤で明けなんて無。朝9時に帰ったらその日の夜11時に出勤)に上り、過労死ラインを軽く超える完全に労働基準法違反の状態です(笑)

店が軌道にのってからは、週に1回は休むことができるようになりましたが、それでも一か月の労働時間は250時間程度で毎日夜勤の生活が16年間続きました。笑えないような危険な目にもたくさん遭いましたし裏話をすると尽きないのですが、得たことも大きな16年間でした。将来は自分で商売ができればと考えていたのですが、バブル崩壊とともに景気が悪化し、大阪で自営することに無理を感じていた時、田舎の両親から地元で福祉施設を立ち上げようとしているから戻ってきてはどうかという話があったのです。

 

大きな決断となった人生の岐路だったと思います。

 

全く未知の世界でしたのでとても不安で迷いました。やってみようという気になった理由は「新しい事業立ち上げの時点から入れる」という点だけで「福祉を志す」なんて動機は微塵もありませんでした。田舎に帰ることが決まってから、大阪で仕事をしながらとりあえずヘルパー2級(当時)の資格をとっただけでした。

この時36歳、18年間の大阪一人暮らしに終わりを告げたのです。

 

こうして私は平成15年9月に社会福祉法人まことの職員として再出発をすることになりました。ここからは社会福祉法人まことの職員としての歴史です。

 

私の出発はデイサービス職員でした。といっても開設時のデイサービスの職員としてデイサービスのご利用者と関わったことは一度もありません。というのも、平成15年10月に本体施設(特養)が開設されましたが、デイサービスはまだご利用者が居なくてこれから確保するという準備段階の中、特養の介護職員が相次いで離職し1ヶ月足らずで特養へ異動となったからです。この時は、正直焦りました。当時のヘルパー2級の資格なんて、受講者同士で高齢者役をしながらオムツ交換の真似事をする程度で2日間の施設実習でも見学のみです。生身の高齢者の排泄介助なんて一度も経験したことがなかったのですから(汗)。といってもやるしかありません。悪戦苦闘しながら排泄介助をしていましたので当時の同僚には随分迷惑をかけたことだと思います。

 

そんな状況の中で更に追い打ちをかけるような事が起こりました。

なんとか特養の介護職員として業務をこなしていた矢先、上司から軽い口調で「来月から夜勤に入ってくださいね~♪」との命令が出ました。

 

「が~~~ん」です。(笑)

何とか日々の日課業務がこなせていたのは周りに助けてもらえるという状況であったからで、初めて生身の人のオムツ交換をしてわずか1ヶ月程度で一人夜勤なんて・・正気の沙汰とは思えませんでした。

 

当時の上司に質問しました。

「夜勤の流れも分からないし経験がないので不安なんですけど、誰か教えてくれる人はいるんですか?」と・・。

 

すると上司から、

「分からないんだったら、自分の休みの時にでも施設に泊まりに来て夜勤の見学して覚えたらどう」という信じられないような冷たい答えが・・。(笑)

 

仕方なく自分の休みの夜に施設に泊りに来て夜勤の見学をしました。(するほうもするほうですけどね)

それだけで次から一人夜勤です。

※今の当施設ではそんなことはありませんのでご安心を(笑)

 

そんな始まりでしたが、まだまだびっくりさせられることが続きました。

翌年(平成16年)の4月にBグループの副主任を命じられるのです。

全くの素人でたった半年しか経験のない私に副主任をしろというのです。

「無茶苦茶だぁ~~~!!」と叫びたい心境でした。(笑)

知識・経験が豊富な他の職員もいる中で、当時の同僚の中にはいい気分でなかった人もいたのではないかと思います。

更に3ヶ月後の7月にはAグループの副主任になれと・・。(汗)

未熟な私にできることは何かを考えました。介護の知識や技術を指導することなんてとてもできるレベルではなかったので、皆と相談しながらグループ内の約束事を決めるなど、仕事の標準化作業とチームの和を作ることを主に頑張りました。

 

そんな中であるショックな出来事が起こりました。

当時の施設長に1階の副主任として業務改善の話をする機会があったので相談に行って、自分の意見を伝えた時に施設長から言われた忘れられない言葉があります。

「資格もないのに分かったようなことを言うな」でした。

この言葉は本当にショックでした。悔し涙を流しました。

 

「そんなことは言われなくても分かっている。だからこそ周りの経験豊富な人に相談しながら物事を進めている。立場を与えられた以上は自分が言うしかないじゃないか」と・・。

 

結果としては、無茶と思えるような異動や施設長から浴びせられた心無い言葉などがあったからこそ今の自分があるのかもしれません。

自分で言うのも何ですが、後ろ指を指されないようにと人一倍勉強したと思います。

そして資格も取得しました。

通信教育で社会福祉主事の任用資格を取得

実務経験3年で受検できる介護福祉士の資格を平成18年度の試験で取得

実務経験5年で受検できる介護支援専門員の資格を平成20年度の試験で取得しました

全て一発合格。介護支援専門員試験は1問のみ不正解というなかなかの成績でした。

↑これは自慢です。不快に感じたらごめんなさい(笑)

 

その後も異動が続きました。

平成17年9月にはBCグループ全体の副主任

平成18年4月には介護全体の主任

そして、平成21年4月に介護長を命じられることとなったのです。

介護長として、8年半が経過します。

その間に増床もあり現在施設の規模は単体としては四国中央市内で1番となっています。職員の数も増えたことで、組織体制をしっかりと構築する必要に迫られました。また、業務改革(標準化作業)を繰り返しながら職員が働きやすい環境作りにも取り組みましたが、それなりの土台作りは進んできたのではないかと自負しています。

介護長という役職名でありながら、現場で一緒に介護をする機会はほとんどなくなり主任・副主任に任せることが大半となりましたが、主任・副主任には虫の目で、私は鳥の目で連携を取りながら、ご利用者・ご家族様はもちろん職員にとってもよりいい施設になるように現状で満足せずに邁進したいと考えています。

 

以上が、簡単ですが私のプロフィール(これまでの道のり)でした。

私は、最初から福祉の道を志した人間ではありません。生活の為に入ったに過ぎない世界でした。しかし、その世界で生かさせてもらうことになる中で、少しずつ成長することができました。そして今では志を持ってこの道(福祉職)を歩んでいると胸を張って言えることができるようになりました。

 

我々(福祉職)に必要不可欠なものは何でしょうか?

知識でしょうか・・。技術でしょうか・・。経験でしょうか・・。資格でしょうか・・。

それぞれ必要であることは間違いありませんが、その他に絶対に欠けてはならないものがあります。

 

昔、悔し涙を流した時に言いたかった言葉。

当時は負け犬の遠吠えでしかなかったので言いませんでしたが、今は声を大きくして言うことができます。「資格も大事だが、資質の方がもっと大事だ。「優しい心の持ち主である」という資質が大事なのだ」と・・・。

 

人の痛みを分かる人・・、相手(人)の立場に立てる人・・

 

我々(福祉職)には、ホスピタリティ(思いやり・心からのおもてなし)というものが必要不可欠なのです。

 

私達はホスピタリティにあふれた施設を目指しています。

そして、その資質を持ち合せた職員達がたくさん集まってくれています。

まだまだ至らぬところがたくさんありますが、まことに関わる全ての人に満足して頂けるように努力したいと思っていますので、今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます。

 

最後に、初めてのブログ投稿が非常に長い内容となったことをお詫びします。

これに懲りずにどんどん投稿していきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

平成29年9月17日

特別養護老人ホーム しあわせの家

介護長 篠原 徹